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これまでの演奏会の紹介です。

チェンバロとオルガンの夕べ

 

Photo

 

◆日時

 1996年4月26日(金)7:00pm

 

◆場所

 奈良カトリック教会   奈良市登大路町36ー1  Tel.(0742)26-2094

 

◆演奏者

 チェンバロ 亀谷 喜久子

 オルガン  高田 富美

 

チラシ

◆プログラム

[チェンバロ] J.J.フローベルガー

       Johann Jakob Froberger(1616-1667)

         トッカータ 第3番 ト調

         Toccata V G (Livre de 1649)

 

         組曲 第3番 ト短調

         Suite V g (Livre de 1656)

           アルマンド = ジーグ = クーラント = サラバンド

           Allemande Gigue Courante Sarabande

 

         ブランクロシェ氏の死を悼むためにパリで作られた追悼曲

         Tombeau fait a Paris sur la mort de Monsieur Blanroche : c

 

         カプリッチォ 第3番 ニ調

         Capriccio V d (Livre de 1658)

 

[オルガン]  J.K.ケルル

       Johann Kaspar Kerll(1627-1693)

         カプリッチォ(カッコー)

         Capriccio sopra il cucu

 

       G.ムファット

       Georg Muffat(1653-1704)

         トッカータ第8番 ト調

         Toccata Octava G

 

         シャコンヌ

         Caicona

 

      

 

[オルガン]  H.シャイデマン

       Heinrich Scheidemann(um1596-1663)

         プレアンブルム ニ調

         Pracambulum d

 

       S.シャイト

       Samuel Scheidt(1587-1654)

         「イギリスの運命の女神の歌」ト調

         Cantilena Anglica de Fortuna g

 

       J.A.ラインケン

       Johann Adam Reincken(1623-1722)

         フーガ ト短調

         Fuga g

 

[チェンバロ] J.S.バッハ

       Johann Sebastian Bach(1685-1750)

         3声のリチェルカーレ (「音楽の捧げ物」より)

         Ricercar a 3 voci BWV1079 (aus dem Musikalishes Opfer)

 

       C.P.E.バッハ

       Carl Philipp Emanuel Bach(1714-1788)

         ヴュルテンベルクソナタ 第1番 イ短調

         Sonata in a minor "Wurtemberg" 1 W.49/1

           モデラート = アンダンテ = アレグロ・アッサイ

           Moderato Andande Allegro Assai

 

◆プロフィール

亀谷 喜久子/チェンバロ

相愛女子大学音楽学部ピアノ専攻卒業後、歌曲・合唱曲の伴奏をする傍ら、オルガンを

R.ヴリーゲン氏、チェンバロを鈴木雅明氏に師事。1987年オランダ・クリステレイク

音楽院チェンバロクラスに留学。チェンバロ・オルガンをクリス・ファー氏に師事し、

1992年チェンバロ・ソリスト・ディプロマを取得して卒業。在学中、オランダにて2度

のリサイタルを行う他、帰国後はリサイタルをはじめ、コンティヌオ奏者として演奏活

動を行う。

 

高田 富美/オルガン

相愛女子大学音楽学部オルガン専攻卒業。その後、ドイツ・ヴェストファーレン州立教

会音楽学校に留学。チェンバロを長瀬節子氏に師事。現在、オルガンとその他の楽器に

よる演奏会を「音楽の散歩道」シリーズで企画している他、独奏、室内楽・合唱などと

の共演等、演奏活動を行っている。

 

 

解説

 17世紀にドイツのバロック音楽を築いていった音楽家達は、音楽先進国のイタリア

、フランス、オランダから多くの事を学びとっていった。

 ヨハン・ヤコブ・フローベルガーはイタリアのフレスコバルディに学び、フランスが

本家のクラブサン組曲に、彼は舞曲の組み合わせ方の基本を作り出した。ドイツのアル

マンド、イギリスのジーグ、フランスのクーラント、スペインのサラバンドの4つの舞

曲を選んで組曲の基礎とした。後にはジーグがファナーレとなって鍵盤曲の組曲が一般

化していった。ヨハン・カスパル・ケルルもイタリアのローマでフレスコバルディとカ

リッシミに学び、その後ヴィーンのシュテファン大聖堂のオルガニストをつとめ、また

南ドイツのミュンヘンでも活躍した。ゲオルグ・ムファットは19歳の時フランスのパ

リに出てリュリの様式を学んだ後、ザルツブルグの大司教に仕えたが、再び10年後今

度はローマでコレルリに学んだ。その後パッサウの楽長をしたが、新しいフランスとイ

タリアの技法を取り入れた人とされている。

 ハインリッヒ・シャイデマンはハンブルグの聖カタリナ教会のオルガニストであった

父に学び、オランダ・アムステルダムのスヴェーリンクに師事した。その後父の跡を継

いで聖カタリナ教会のオルガニストをつとめた。同じくスヴェーリングに学んだのがザ

ムエル・シャイトである。シャイトはプロテスタントのオルガン曲、特にコラール編曲

の基礎を築いた。それまで一般的だった文字によるオルガン曲の記譜に代わって、五線

譜を用いトッカータ、フーガ、前奏曲、変奏曲、ファンタジアなど豊富な主題処理の技

法を駆使した。

 さて、ハンブルグの聖カタリナ教会オルガニストのシャイデマンにオルガンを学んだ

のが、ヨハン・アダム・ラインケンである。オランダのデーヴィンダーで活動した後、

シャイデマンのあとを継ぎ、聖カタリナ教会のオルガニストに就任した。彼こそ北ドイ

ツ鍵盤音楽の一派を代表する人となった。99歳の長寿であったが、既に70歳になっ

ていた彼の演奏をたびたび50キロ離れたリューネブルグから歩いて聴きにきたのが、

まだ15歳の少年、ヨハン・セバスティアン・バッハであった。それから20年後バッ

ハがハンブルグの聖ヤコービ教会のオルガニスト採用試験のために聖カタリナ教会でコ

ラールの即興演奏をしたとき、老ラインケンは「この技術はもう死んだと思っていたが

、きみの中でふたたび蘇ったのだ。」と賞賛したことは有名な逸話である。

 バッハは生涯、一歩もドイツを出ることはなかった。しかし、彼の中へと様々な音楽

の流れが大きな小川(バッハ)となって流れ込んでいたのである。幼き日兄の書棚には

いっている多くの楽譜をひもとき、学んだ。この兄ヨハン・クリストフは南・中部ドイ

ツのオルガン音楽を代表するパッヘルベルに学んでいた。そして、バッハが20歳のと

き北ドイツのオルガンの巨匠ブックステフーデの演奏をきくためリューペックに旅し、

4週間の休暇が4ヶ月にもなったことも有名な逸話である。彼は多くの人から多くの音

楽を学んでのである。

 バッハで集約されたドイツ・バロック音楽は、その息子達に引き継がれていった。次

男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハは長くベルリンのフリードリッヒ大王の

もとでチェンバリストをつとめ、「ベルリンのバッハ」とよばれ、晩年はハンブルグに

住み「バンブルグのバッハ」ともいわれた。彼がフリードリッヒ大王のもといるとき、

父がたずねてきて、大王からいただいた主題をもとに父が作曲したのが「音楽の捧げ物

」である。しかし、息子達が生きた時代はもうバロックから古典派へと大きく音楽の様

式が変わっていく時代へとなっていたのである。

 今日のプログラムは、主に17世紀南北ドイツで活躍した作曲家を取り上げました。

この頃のドイツ人作曲家達は、音楽先進国のイタリア、フランス、オランダに渡り、多

くの事を学びドイツに持ち帰りました。J.J.フローベルガー(1616-1667)とJ.K.ケルル

(1627-1693)は共にイタリアのG.フレスコバルディ(1583-1643)に学び、G.ムファット

(1653-1704)はフランスでJ.B.リュリ(1632-1687)の様式を学んだあと、イタリアのA.コ

レルリ(1653-1713)にも学んでいます。彼らの音楽の中にはトッカータ、カプリッチォ

等のイタリア様式、またフランスが本家のクラブサン組曲の影響により、ドイツのアル

マンド、イギリスのジーグ、フランスのクーラント、スペインのサラバンドの4つの舞

曲を選んで、J.J.フローベルガーが組曲の基礎とする等、南ドイツで活躍した作曲家達

の曲の中には、フランス、イタリアの息吹が感じられます。

 北ドイツの作曲家H.シャイデマン(1596-1663)とS.シャイト(1587-1654)は共にオラン

ダのJ.P.スヴェーリンク(1562-1621)に師事しましたが、スヴェーリンクも若い頃はイ

タリアで学んでいます。J.A.ラインケン(1632-1722)はH.シャイデマンの後継ぎになっ

た人で、若きJ.S.バッハ(1685-1750)が老オルガニスト・ラインケンの演奏を50キロ

も歩いて聞きに行ったという話もあります。

 そのJ.S.バッハは生涯をドイツ国内で過ごしましたが、A.シュヴァイツァーが「バッ

ハは一つの終局である。彼からは何も発しない。一切が彼のみをめざして進んできたの

である」と言ったように、彼の努力と研究熱心さにより、ドイツと他国の先輩達の音楽

様式、作曲技法が彼に流れ込んで行きました。そしてバッハ独自の世界を築いていった

のです。「音楽の捧げ物」は、次男のC.P.E.バッハ(1714-1788)がベルリンのフリード

リッヒ大王のもとでチェンバリストをしている時に、彼をたずねた父バッハが大王の主

題をもとにして作曲したものです。父バッハは息子達の教育にも熱心でしたが、彼らの

生きた時代はバロックからまた新しい時代へと大きなうつり変わりを見せていくので

す。

                                  F.T.

 

 

チェンバロ

    使用楽器  J.D.Dulcken(Antwerp 1775)のコピー

          N.B.v.d.Waals 製作 (1991)

    調律    平山照秋

 

オルガン

    使用楽器  Claus Sebastion 製作 (1987)

               Disposition Holzgedackt 8'

                 Rohrflote 4'

                 Prinzipal 2'

                 Quinte 1-1/3'

    調律    落合和博

 

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